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ブハラの伝説:9つの物語と、それを聞くべき場所
AroundCAチーム

この記事で紹介している場所: ブハラ

ブハラの伝説:9つの物語と、それを聞くべき場所

ブハラの人に「なぜはチンギス・カンの破壊を免れたのか」と尋ねても、年号は返ってきません。返ってくるのは帽子の話です。ブハラの古い建物にはほぼすべて物語がついていて、物語は事実よりも早く広まります。ガイドは門の前で、の主人は緑茶を注ぎながら、そしてお年寄りはの石段で、それぞれの物語を語ってくれます。

ここでは、私たちがお客様に最もよくお話しする9つの物語をご紹介します。これらは伝説であり、私たちも伝説としてお伝えしています。それぞれについて、物語の概要、実際にわかっていること、そしてその物語を聞くのにふさわしい場所をまとめました。その場所について詳しい記事がある場合は、内容を繰り返さずにリンクでご案内します。

アルク:牛の皮の中に建てた宮殿

アルクの傾斜した城壁
アルクの傾斜した城壁

伝説。ペルシアの叙事詩に登場する王子スィヤーヴァシュはトゥランへ逃れ、その国の王に娘との結婚を願い出ました。王は不可能だと思われる条件を出します。まず、牛1頭分の皮で囲める範囲の中に宮殿を建てよ、と。スィヤーヴァシュは皮を細い紐状に切り、端と端を結び合わせて、宮殿が建つほど大きな円を描きました。ブハラでは、その円がアルクになったと語られています。10世紀の歴史家ナルシャヒーが伝える別の物語では、要塞は何度建てても崩れてしまい、北斗七星の配置に並べた7本の柱の上に築いて、ようやく完成したといいます。

わかっていること。アルクは、人々が何層にもわたって土を積み上げた丘の上に建っています。考古学者は最下層から紀元前4〜3世紀の城壁を発見しました。アルクは1920年までブハラの支配者の居城でした。

聞くべき場所。スロープを上る前の、門の前に広がる広場で。要塞の詳しい歴史はブハラのアルクでご紹介しています。

カラーン・ミナレット:チンギス・カンが頭を垂れた日

根元から見上げたカラーン・ミナレット
根元から見上げたカラーン・ミナレット

伝説。1220年、チンギス・カンは大ミナレットの前に馬を進め、頂上を見ようと頭を反らせました。あまりに大きく反らせたため、帽子が落ちてしまいます。それを拾おうと身をかがめたとき、彼は「これほどの偉人が頭を下げた塔なのだから、残しておくべきだ」と言ったそうです。別の話では落ちたのは兜で、彼はそれを天からのしるしと受け止めたとされています。

わかっていること。ミナレットは1127年にアルスラン・ハンによって完成しました。1220年にモンゴル軍がブハラを攻略した際、町は焼かれ、隣にあった大モスクも破壊されましたが、ミナレットは残されました。その理由は誰も書き残していません。ラクダの乳を混ぜたモルタルで塔を築いた名工バコの話も、同じ塔にまつわる別の伝説です。

聞くべき場所。広場のミナレットの足元で。見上げてみれば、この物語が語り継がれる理由がわかるはずです。詳しくはポイ・カラーンとカラーン・ミナレットをご覧ください。

チャシュマ・アユーブ:ヨブの杖が生んだ泉

伝説。東方でアユーブと呼ばれる預言者ヨブがこの地を訪れ、杖で地面を打つと、そこから清らかな泉が湧き出しました。その水は今も清く、病を癒すと信じられており、人々が飲みにやって来ます。

わかっていること。建物の最も古い部分は12世紀にさかのぼります。碑文によれば、1379〜1380年にが壮麗な広間を建てさせたとされ、工事はホラズムの職人によるものと考えられています。そのため、ホラズムではよく見られるもののブハラでは珍しい円錐形のドームが載っています。内部にはブハラの水利に関する博物館があり、砂漠の町が運河や池によってどのように暮らしを支えてきたかを知るのに最適です。

聞くべき場所。から歩いて数分、サーマーニー公園の端で。尖った屋根が目印です。

サーマーン朝廟:レンガに宿る40人の聖者

レンガの文様で飾られた10世紀の霊廟、サーマーン朝廟
レンガの文様で飾られた10世紀の霊廟、サーマーン朝廟

伝説。外壁の装飾に埋め込まれた小さなレンガの珠を数えてみてください。地元の伝承では、その数40を、中央アジアの民話に登場する40人の守護精霊「チルタン」と結びつけています。ガイドはまた、この霊廟が地中に隠れてチンギス・カンから逃れたという話もしてくれます。

わかっていること。霊廟は10世紀に建てられました。ここにはサーマーン朝のナスル2世らが葬られており、伝承では王朝の創始者イスマーイール・サーマーニーも眠るとされています。2つ目の物語は事実に近いものです。洪水によって建物は何世紀にもわたり土砂に埋もれ、1926〜1928年に掘り出されました。

聞くべき場所。アルクの西にあるサーマーニー公園で。低い角度から差す朝の光がレンガの文様を際立たせるので、午前中の訪問がおすすめです。

マゴキ・アッタリ:穴の中のモスク

伝説。イスラーム以前、ここには偶像や薬、香辛料を売る市場があり、そばには月の神マーを祀る神殿があったと伝えられています。拝火教の神殿だったという説もあります。また、ブハラのユダヤ人コミュニティが自分たちのシナゴーグを持つまで、このモスクで祈っていたことも町の記憶として残っています。

わかっていること。「マゴク」はペルシア語で「穴の中」を意味し、その理由は訪れればすぐにわかります。何世紀もかけて周囲の町の地面が高くなったため、床が現在の通りより約4.5メートルも低いのです。ファサードは12世紀のもので、1930年代に修復されました。現在、モスクは絨毯博物館になっています。

聞くべき場所。リャビ・ハウズからポイ・カラーンへ向かう途中、が並ぶ一角で。階段の上に立ち、門を見下ろしてみてください。

リャビ・ハウズ:土地を売らなかった未亡人

未亡人の物語の舞台となった池、リャビ・ハウズ
未亡人の物語の舞台となった池、リャビ・ハウズ

伝説。宰相は、ある年老いたユダヤ人の未亡人が所有する土地に池を造りたいと考えましたが、彼女は売却を拒みました。そこで宰相は彼女の家のそばに水路を掘らせ、水が家の土台にしみ込むようにしました。ついに彼女は折れましたが、ひとつ条件をつけました。別の場所にシナゴーグのための土地を用意すること、です。ブハラでは今でもこの池を、半ば冗談で「力ずくで造った池」と呼んでいます。

わかっていること。池は1620年頃にナディル・ディヴァンベギのために掘られ、大きさは約46×36メートルです。かつては数十ものハウズ(池)があったこの町で、今も残る数少ないひとつです。

聞くべき場所。夕暮れどき、水辺の石段で。広場とその、チャイハナについてはリャビ・ハウズとチョル・ミノルでご紹介しています。

チョル・ミノル:4つの塔は4つの信仰?

青いドームを戴く4本の塔をもつチョル・ミノル
青いドームを戴く4本の塔をもつチョル・ミノル

伝説。4本の塔はそれぞれ異なる装飾が施されており、最も人気のある説明は、それらが4つの宗教を表しているというものです。訪れた人々は装飾の中に十字架や魚、マニ車を探し、多くの人がそれらを見つけ出します。

わかっていること。この建物は1807年、ブハラの裕福な商人ハリフ・ニヤズクルが自らのメドレセの門楼として完成させたものです。メドレセは失われましたが、門楼だけが残りました。塔はミナレットではなく、なぜ4本なのかは誰も記録していません。

聞くべき場所。建物の前の小さな広場で。リャビ・ハウズから静かな路地を北東へ歩いて10分ほどです。

ホジャ・ナスレッディン:ブハラが愛する息子

伝説。ブハラの人々は、はブハラの人間だったと言うでしょう。最もよく知られた話のひとつで、ティムールが彼に「偉大な征服者である余にはどれほどの値打ちがあるか」と尋ねます。「金貨20枚ほどでしょう」とナスレッディン。「この帯だけでもそれくらいの値打ちがあるぞ!」「存じております」とナスレッディンは答えます。「帯の分を数えましたので」。

わかっていること。ナスレッディンがどこに住んでいたのか、そもそも実在したのかどうかは誰にも証明できず、多くの国が彼を自国の人物だと主張しています。2022年、彼の小話を語る伝統は、ウズベキスタンを含む7か国の共同申請によりUNESCOの人類の無形文化遺産に登録されました。

聞くべき場所。リャビ・ハウズで、1979年から桑の木の下に立つ、ロバに乗ったナスレッディンのブロンズ像のそばで。ガイドにもうひとつ話をせがんでみてください。話はいつでも、もうひとつあるものです。

バハウッディーン・ナクシュバンド:手は仕事に、心は神とともに

ブハラ近郊のバハウッディーン・ナクシュバンド廟群
ブハラ近郊のバハウッディーン・ナクシュバンド廟群

伝承。若き日のバハウッディーンは、とうの昔に亡くなったスーフィーの師アブドゥルハーリク・ギジュドゥヴァーニーを夢に見て、アミール・クラールの弟子になるよう告げられたと伝えられています。彼はそのとおりにしました。彼の教えは、ディル・バ・ヨル、ダスト・バ・コル――心は神とともに、手は仕事に――という4つの言葉で記憶されています。彼の名前も同じことを示しています。父は織工であり彫金師でもあり、「」とは文様を作る人という意味なのです。

わかっていること。バハウッディーン・ナクシュバンドは1318年から1389年まで生き、ナクシュバンディー教団にその名を残しました。彼はブハラ郊外のカスリ・オリフォンに葬られ、何世紀にもわたってその墓の周りに廟群が形成されました。ハーナカーは1544〜1545年、アブドゥルアズィーズ・ハンの時代に建てられています。2023年からは、UNESCO世界遺産「:ザラフシャン・カラクム回廊」の構成資産となっています。

聞くべき場所。旧市街から北東へ約10〜12kmの廟群の中庭で。ここは祈りの場ですので、肩と膝を覆い、女性はスカーフをご持参ください。ブハラの7人の聖者(ピール)については、ウズベキスタンの聖地のガイドでご紹介しています。

伝説をめぐる散策:おすすめルートとヒント

  • ルート:開門時間にアルクから出発し、西へ歩いてサーマーン朝廟とチャシュマ・アユーブへ。そこから東へ戻ってポイ・カラーンへ向かい、交易ドームを抜けてを通り過ぎ、リャビ・ハウズとナスレッディン像へ。最後はで締めくくります。バハウッディーン・ナクシュバンドへは車が必要です。私たちは、アミールの夏の離宮と組み合わせて午前中に回るプランをご用意しています。
  • 所要時間:旧市街の伝説めぐりは徒歩で丸1日、昼食を含めて約5〜6時間です。バハウッディーン・ナクシュバンドには、移動時間に加えて1〜1.5時間をみてください。
  • 時間帯:アルクは朝、ポイ・カラーンは夕日の時間、リャビ・ハウズは日が暮れてから。物語が最も味わい深く聞こえる時間です。
  • チケットと営業時間:広場は無料で、博物館はそれぞれ個別のチケットが必要です。各見どころの詳細はブハラとヒヴァの見どころ・チケット・営業時間をご覧ください。
  • アクセス:ブハラ駅は旧市街から約12km離れたカガンにあるため、タクシーか送迎の手配をおすすめします。ウズベキスタンの鉄道もご覧ください。

この散策を旅程に組み込むには、ブハラ1日・2日・3日モデルコースとブハラ観光ガイドをご覧ください。私たちのガイドと一緒なら、これらの物語の多くをブハラ・ハイライトツアーでお聞きいただけます。すべてのルートはブハラのツアーでご覧いただけます。次は西へ向かいますか? ヒヴァの伝説もぜひお読みください。

まとめ

  • ブハラの伝説は実在の場所と結びついており、それぞれの物語の舞台に実際に立つことができます。
  • 牛の皮、落ちた帽子、ヨブの杖、頑固な未亡人は伝説です。一方、アルクの古代の城壁、1127年のミナレット、1620年の池は歴史です。
  • 半分は本当という物語もあります。サーマーン朝廟は実際に地中に埋もれたまま生き延びました。
  • ナスレッディンは多くの国のものであり、彼の小話は2022年からUNESCOの無形文化遺産です。
  • 伝説めぐりは1日で。朝のアルクから夜のリャビ・ハウズまで歩き、バハウッディーン・ナクシュバンドへは車で足を延ばしましょう。

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