
この記事で紹介している場所: サマルカンド
サマルカンドの伝説:11の物語と、それを聞ける場所
サマルカンドで誰かに、なぜこの町のパンはおいしいのかと尋ねてみてください。ブハラのハンと、この町の空気だけは持っていけなかったパン職人の話が返ってくるでしょう。ご存じですか? ティムールのモスクの石を運んだ95頭の象 ティムールのデリー遠征後の1399年に着工したビビ・ハニム・モスクは、帝国最大のモスクでした。約200人の石工が働き、インドから連れてきた95頭の象が資材を運びました。中庭は1万人を収容する計画でした。 詳しく見る →の門について尋ねれば、話は口づけへと移ります。この町は自らを伝説で語り、人々は真顔で、そして笑みを浮かべながらそれを語ってくれます。
私たちはタシケントの会社で、私たちのガイドは20年にわたりサマルカンドでこうした物語を語ってきました。ここでは、その中から選りすぐりの11話をご紹介します。どれも伝説であることをはっきり示したうえで、実際にわかっていることと、その話を聞きながら立つことのできる場所を添えました。各遺跡の歴史をくわしく知りたい方は、リンク先の詳しいガイドをご覧ください。
シャーヒ・ズィンダの「生ける王」

伝説。クサム・イブン・アッバースは布教のためにサマルカンドへやって来ました。金曜礼拝の最中に敵が襲いかかったとき、彼は死にませんでした。丘の下の深い井戸へと歩み入った、あるいはイスラムの伝承に登場する不死の放浪者ヒドルに導かれ、丘の下の地下道へ入っていったといいます。彼は今もそこで生きているのです。だからこの場所は、「生ける王」を意味するご存じですか? シャーヒ・ズィンダが「生ける王」と呼ばれるわけ この霊廟群は、預言者ムハンマドのいとこクサム・イブン・アッバースの聖廟を中心に広がりました。伝説では彼は戦死せず、深い井戸を下って楽園の庭へ行き、今も生きているといいます。 詳しく見る →と呼ばれています。
わかっていること。クサムは預言者ムハンマドのいとこでした。676年、アムダリヤ川の向こうへのアラブの遠征に加わり、677年頃にサマルカンドで亡くなりました。11世紀までには、彼のものとされる墓の上に霊廟が建ち、のちにアミール・ティムール(タメルラン、1336〜1405年)は、サマルカンドを都としたティムール帝国の創始者。シャフリサブス近郊の生まれです。の一族がその周りに墓廟の通りをまるごと築きました。言い伝えには、もうひとつ小さな伝説が添えられています。階段を上るときと下りるときに段を数え、数が一致すれば罪が赦されるというものです。
見られる場所。クサムの聖廟は小道のいちばん上、彫刻を施した木の衝立の奥にあります。今も祈りの場ですので、静かに歩きましょう。詳しくはシャーヒ・ズィンダのガイドをご覧ください。
ビビ・ハニムと建築家の口づけ

伝説。ティムールが遠征に出ている間、妃は夫を驚かせようとモスクを建てていました。若い建築家は彼女に恋をして工事を遅らせ、期限どおりに仕上げる代わりの条件を口にしました。口づけひとつです。妃は彩色した卵を届けさせ、こう伝えました。色はそれぞれ違っても味はみな同じ、女も同じこと、と。建築家は杯を二つ返しました。ひとつには水、ひとつには葡萄酒。見た目は同じでも、身を焦がすのは片方だけだと。妃は口づけを許しましたが、それは頬に跡を残し、ティムールは帰ってくるなりそれに気づきました。物語の結末は、語り手によって変わります。
わかっていること。モスクはティムール自身の事業で、インド遠征後の1399年に着工しました。ご存じですか? 伝説:建築家は王妃に口づけを求めた 伝説では、ビビ・ハニムの建築家はティムールの妃の口づけと引き換えでなければ期限内に仕上げないと言い、ティムールに罰せられました。実際にはモスクはティムール自身の事業で、妃サライ・ムルク・ハヌムは向かいに自分のマドラサを建てました。 詳しく見る →として知られる妃サライ・ムルク・ハヌムは、通りの向かいに自分のイスラムの学院。壮麗な正門の奥に中庭があり、その周りに学生の居室と教室が並びます。旧市街では、今は博物館や工房として使われているものも多くあります。を建てました。
見られる場所。高さ35メートルの門の下に立ち、それから通りを渡って、彼女のマドラサから残る小さな廟を訪ねましょう。詳しくはビビ・ハニム・モスクのガイドをご覧ください。
大理石のコーラン台と子宝の願い

言い伝え。同じモスクの中庭には、大理石を彫って作られた巨大なコーラン台があります。サマルカンドでは、この下をくぐった女性は子宝に恵まれるといわれ、何世代にもわたって女性たちがくぐってきました。
わかっていること。この台はティムールの孫ご存じですか? ウルグベクは1年の長さを誤差25秒で測った ウルグベクはサマルカンドの天文台で太陽年を365日5時間49分15秒と算出しました。誤差はわずか約25秒で、1世紀後のコペルニクスより正確でした。 詳しく見る →が作らせたもので、長さは約2.3メートル。当初は主聖所のドームの下にあり、のちに屋外へ移されました。高さ2メートル近いページを持つ、巨大な判型のコーランのために作られたものです。
見られる場所。中庭の中央です。600年近くを経た壊れやすいものなので、今は見て写真を撮るだけにし、上に乗らないのがならわしです。
帰ってきた翡翠

伝説。1740年、ペルシアの君主ナーディル・シャーは、ティムールの墓の上に置かれていた深緑の石を持ち去りました。その道中、石は真っ二つに割れました。側近たちはこれを凶兆とみて返すよう進言し、こうして石はサマルカンドに戻ってきたのです。
わかっていること。この石は翡翠の一種である軟玉で、1425年にウルグ・ベクがサマルカンドへ運ばせたものです。ナーディル・シャーに持ち去られたのは本当で、二つに割れているのも本当です。長い銘文は、ティムールの家系を何世代も前までさかのぼっています。
見られる場所。ご存じですか? ティムールの墓石はペルシャへ渡り、戻ってきた グーリ・アミール廟のティムールの墓を覆う深緑の軟玉の石板は、1740年にナーディル・シャーが持ち去りました。石は割れ、側近の進言で彼はサマルカンドへ返しました。 詳しく見る →の中央、大理石の柵の奥。淡い色の石の中にある黒っぽい石です。ひび割れを探してみてください。詳しくはグーリ・アミール廟のガイドをご覧ください。
ルハバード廟のドームに眠る7本の髪
伝説。職人たちがルハバード廟のドームを閉じたとき、預言者ムハンマドの髪7本を納めた箱をその中に塗り込めたといいます。ルハバードという名は「魂の住まう所」を意味します。
わかっていること。この廟は、はるか東方で亡くなったイスラムの説教師、シャイフ・ブルハーヌッディーン・サガルジーの墓の上に建っています。遺体は息子がサマルカンドへ運んできました。建物は通常、ティムールの時代の1380年頃のものとされます。ティムール朝の壮大な墓廟と違って高い正面門はなく、同じ大きさの3つの入口から中へ入ります。
見られる場所。グーリ・アミール廟から歩いて数分なので、2か所を一度に回れます。
シェルドルの虎とサマルカンドのヒョウ

伝説。サマルカンドが築かれたとき、一頭のヒョウが山から下りてきて、まるで検分するかのように新しい城壁の周りを歩き、また山へ帰っていきました。人々はこれを祝福と受け止め、この大きな猫を旗印に掲げました。
わかっていること。町でいちばん有名な猛獣は、1636年に完成したシェルドル・マドラサのアーチの上にいます。縞模様なのにライオンのたてがみを持ち、白い鹿を追いかけ、その背からは人の顔をした太陽が昇っています。名前は「ライオンを持つ」または「虎を持つ」という意味で、どちらなのかサマルカンドでは今も議論が続いています。このモチーフは建物よりはるかに古く、太陽を背負ったライオンは1997年の200スム紙幣の裏面にも描かれていました。
見られる場所。ご存じですか? レギスタンの「太陽を背負う獅子」は紙幣の図柄に シェル・ドル・マドラサ(1619〜1636年)の名は、門に描かれた太陽を背負う猛獣に由来します。この図柄は1997年発行の200スム紙幣の裏面に使われました。 詳しく見る →で、広場に向かって右側のマドラサです。詳しくはレギスタンのガイドをご覧ください。
ウルグ・ベクの最初の講義に現れた見知らぬ男

伝説。マドラサが完成に近づいたころ、ウルグ・ベクは最初の教師を誰にするのかと尋ねられました。あらゆる学問に最も通じた者だ、と彼は答えました。すると見るからに質素な身なりの男が群衆の中から進み出て、名乗りを上げました。最初の講義には90人の学者が集まりました。講義が終わるころ、彼についていけたのはたった2人、天文学者カーディーザーデとウルグ・ベク自身だけでした。
わかっていること。マドラサは1420年代に開かれ、ウルグ・ベクのもとで主な科目は天文学でした。彼は教師たちを自ら面接し、カーディーザーデもその一人でした。
見られる場所。レギスタン広場の3つのマドラサのうち最も古いもので、広場に向かって左側にあります。
ウルグ・ベクの隠された蔵書

伝説。ウルグ・ベクの死後、1万5000冊を数えたといわれる彼の蔵書は危機にさらされました。弟子のアリー・クシュチーは本の大半を町の外のハズラト・バシール村へ運び出し、隠しました。それがどこなのか、人々は今も思いをめぐらせています。
わかっていること。1420年代に建てられたウルグ・ベクの天文台は、1018個の星を収めた星表を作り、1年の長さを驚くほど正確に測定しました。アリー・クシュチーはのちにその知識を西のイスタンブールへ伝えました。
見られる場所。クハクの丘の天文台で、岩に刻まれた巨大な六分儀の弧が見られます。詳しくはウルグ・ベク天文台のガイドをご覧ください。
ダニエルと伸びる墓

伝説。預言者ダニエルの遺骸を持つ土地は決して恵みに事欠かない、と聞いたティムールは、遠征先からダニエルの聖遺物をサマルカンドへ持ち帰りました。埋葬されると、墓はひとりでに伸び始めたといいます。近くの泉は馬のひづめの下から湧き出たと伝えられ、巡礼者たちは健康を願ってその水を飲みます。
わかっていること。ホジャ・ドニヨール廟は、古代サマルカンドの丘ご存じですか? 7世紀の壁画に描かれた朝鮮半島からの使節 1965年の道路工事で見つかったアフラシアブの「使節の壁画」には、絹を携えた唐の使節などが描かれ、鳥の羽根を冠に挿した2人は高句麗の使節と考えられています。 詳しく見る →の東側、シヨブ川を見下ろす場所に建っています。5つのドームの下には長さ約18メートルの墓があります。イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒がみな訪れ、ホジャ・ドニヨールはクサム・イブン・アッバースの仲間だったと考える学者もいます。町の人々によれば、墓室の脇の枯れたピスタチオの木は、1996年に総主教アレクシイ2世がこの地を祝福した後、再び芽吹いたそうです。
見られる場所。アフラシアブの反対側で、天文台からタクシーですぐです。控えめな服装で訪れ、泉まで下りてみてください。
タラスの捕虜がもたらした紙

伝説。751年のタラス河畔の戦いの後、サマルカンドへ連れてこられた中国人の捕虜たちが、紙づくりの秘密を町に教えました。一世代のうちに、ご存じですか? 伝説:中国人捕虜が紙づくりを伝えた 11世紀に記された伝説では、751年のタラス河畔の戦いで捕らえられた中国人がサマルカンドに製紙を伝えたとされます。実際にはそれ以前から紙は使われ、技術はシルクロードを通じて徐々に伝わったと考えられています。 詳しく見る →はイスラム世界じゅうで名を馳せるようになりました。
わかっていること。この話が書き留められたのは11世紀のことです。歴史家はもっと慎重で、サマルカンドでは751年より何十年も前から紙が知られており、技術はおそらく交易路を通って少しずつ伝わったと考えています。とはいえ、その名声は歴史そのものです。
見られる場所。町の外、サマルカンド近郊の村。小川のほとりで今も動く水車小屋で、桑の樹皮から昔ながらの方法で紙が手作りされています。のご存じですか? 石で磨き、400年もつように作る紙 途絶えた技を復活させるため1996年に開かれたコニギルのメロス工房では、水車で動く杵が桑の樹皮をつき、一枚一枚を瑪瑙や貝殻、角で何時間も磨きます。およそ400年もつように作られています。 詳しく見る →工房です。ここでは再び桑の樹皮から手作業で紙が作られています。詳しくはサマルカンド紙のガイドをご覧ください。
旅をしなかったパン

伝説。あるブハラのハンはサマルカンドのパンをこよなく愛し、町いちばんのパン職人を、窯も小麦粉も水もそっくりそのまま宮廷へ呼び寄せました。それでも焼き上がったパンは違う味でした。パン職人は説明しました。ひとつだけ運べない材料がある、それはサマルカンドの空気です、と。
わかっていること。サマルカンドのノンは粘土のタンディール窯の内壁に貼りつけて焼かれ、縁より中央が薄くなっています。日持ちがよく、簡単に焼きたての風味を取り戻せるので、旅人はこれをお土産に持ち帰ります。
見られる場所。ビビ・ハニム・モスクの隣のビビ・ハニム・モスクのすぐ隣にある、サマルカンドを代表するバザール。サマルカンドのナン、ドライフルーツ、ナッツ、ハルヴァが並びます。 詳しく見る →で、朝がおすすめです。詳しくはウズベキスタンのバザールのガイドをご覧ください。
伝説をめぐる一日:プランの立て方
- 朝:開場と同時にレギスタン広場へ。そこから歩行者専用通りを10分歩いてビビ・ハニム・モスクとシヨブ・バザールへ。シャーヒ・ズィンダはさらに約800メートル先です。
- 昼:タクシーでアフラシアブの反対側にある天文台とホジャ・ドニヨール廟へ。
- 夕方:すぐ近くにあるグーリ・アミール廟とルハバード廟へ。日が暮れたら、もう一度レギスタン広場へ。
- コニギル:町の外なので、別に半日をとりましょう。
- 所要時間:町の伝説めぐりには丸1日。コニギルも加えてゆっくり回るなら2日です。
- チケットと開館時間:私たちのサマルカンドの見どころ、チケットと開館時間をご覧ください。聖地では肩と膝を覆い、女性はスカーフをご持参ください。
私たちのサマルカンド1日・2日・3日モデルコースで、すべてを組み込む方法をご紹介しています。町のほかの見どころについては、サマルカンド観光ガイドとサマルカンドのツアーをご覧ください。
まとめ
- サマルカンドの伝説は、それが起きた場所で語られます。ひとつひとつ、その場に立って聞いてみてください。
- 生ける王、建築家の口づけ、翡翠、パンは伝説です。一方、建造物も年代も、石のひび割れも本物です。
- 大理石のコーラン台とシャーヒ・ズィンダの階段にまつわる2つの言い伝えは、それ自体が見学の一部です。コーラン台は、上に乗らずに眺めるだけにしましょう。
- レギスタン、ビビ・ハニム・モスク、シヨブ・バザール、シャーヒ・ズィンダは徒歩で回れます。天文台とホジャ・ドニヨール廟へは短いタクシー移動が必要です。
© 写真
- Afrasiyab ancient settlement, Samarkand — Akhemen / Wikimedia Commons · CC BY-SA 4.0



