
この記事で紹介している場所: サマルカンド
サマルカンドのウルグ・ベク天文台:六分儀、星、そして訪れ方
ご存じですか? ウルグベクは1年の長さを誤差25秒で測った ウルグベクはサマルカンドの天文台で太陽年を365日5時間49分15秒と算出しました。誤差はわずか約25秒で、1世紀後のコペルニクスより正確でした。 詳しく見る →で数段の階段を下りると、そこは岩を掘り込んだ溝の中です。大理石で覆われた2本のレールが、光のほうへ弧を描いて上っていきます。これが当時世界最大の天文観測器具の名残のすべてです。半径およそ40メートルの弧で、1度の目盛りが約70センチもありました。600年前、サマルカンドの天文学者たちはここで太陽、月、惑星の位置を読み取っていました。
これを造った人物は40年にわたってこの町を治めましたが、記憶されているのはまず科学者としての姿です。私たちはサマルカンドの長めのプログラムのほとんどで、お客様をこの丘へご案内しています。ここでは私たちのガイドが語る天文台をご紹介します。ウルグ・ベク、巨大な六分儀、星の表、建物がどのように失われ再発見されたのか、そして一日の予定への組み込み方です。
空を測った君主
ムハンマド・タラガイ、称号ウルグ・ベク(「偉大な君主」)で知られる彼は、1394年にアミール・ティムール(タメルラン、1336〜1405年)は、サマルカンドを都としたティムール帝国の創始者。シャフリサブス近郊の生まれです。の孫として生まれました。まだ10代だった1409年にサマルカンドの総督となり、1411年からはアムダリヤ川とシルダリヤ川の間の地、マー・ワラー・アンナフル全体を治めました。父シャー・ルフはヘラートから帝国を統治していました。
ウルグ・ベクは40年間サマルカンドを治めましたが、情熱を注いだのは数学と天文学でした。自ら学び、教え、観測し、イスラム世界の一流の学者たちを周りに集めました。数学者ジャムシード・カーシー、天文学者カーディーザーデ・ルーミー、そして後にアリー・クシュチーです。その治世は1449年の死とともに終わりました。彼はグーリ・アミール廟に、祖父からわずか数歩の場所に眠っています。
レギスタンのマドラサ:天文学者の学校

物語は町の中から始まります。1417–1420年、ウルグ・ベクはレギスタン広場の西側にイスラムの学院。壮麗な正門の奥に中庭があり、その周りに学生の居室と教室が並びます。旧市街では、今は博物館や工房として使われているものも多くあります。を建て、そこでは天文学が最も重要な科目として、数学、幾何学、論理学、神学とともに教えられました。教師は彼自身が選び、カーディーザーデとカーシーが教壇に立ち、君主自らも講義をしました。
数年後、仕事の場は地平線が開けた町はずれのクハクの丘へ移りました。マドラサと天文台はひとつの物語の両半分で、私たちもそのように語ります。ご存じですか? レギスタンの「太陽を背負う獅子」は紙幣の図柄に シェル・ドル・マドラサ(1619〜1636年)の名は、門に描かれた太陽を背負う猛獣に由来します。この図柄は1997年発行の200スム紙幣の裏面に使われました。 詳しく見る →で始め、丘で締めくくるのです。
巨大な六分儀:ひとつの器具を中心に建てられた建物

天文台は1420年代に建てられ、1428–1429年頃に完成しました。直径約46メートル、高さ約30メートルの円形の3階建てでした。部屋には小型の器具が置かれ、屋上の水平な円環は地平線に沿った方位の測定に使われました。
円筒形の建物の中央を、子午線の南北の線に沿って主要な器具、ファフリー六分儀が貫いていました。半径は約40メートル。下半分は幅約2メートル、深さ約11メートルの溝として丘の岩に掘り込まれ、上半分は建物の内部にそびえていました。平行する2本の弧は大理石で覆われ、度ごとに目盛りが刻まれていました。1度は約70センチで、さらに細かな目盛りが角度の1分ごとに付けられていました。
六分儀ではなく四分儀と呼ぶ歴史家もいます。弧は一部しか残っておらず、全長については今も議論が続いています。現在見られるのは下部の地下部分で、保護のためヴォールトで覆われています。2本のレールを光のほうへ目でたどってみてください。それが子午線の線です。
1018個の星と、分単位で測られた1年
成果は1437年に完成した『スルタンの天文表』(『グルガーニー天文表』とも)にまとめられました。ペルシア語の天文表の書です。その星表は1018個の星の位置を記し、ヒッパルコス以来17世紀ぶりの、この種の2番目の星表となりました。三角法も収められ、1度ごとの正弦の値が小数点以下9桁まで計算されています。
ウルグ・ベクのチームは、地球が恒星に対して同じ位置に戻るまでの時間である恒星年を、365日6時間10分8秒と測定しました。現代の値より約1分長いだけです。季節の1年である太陽年は365日5時間49分15秒で、誤差はわずか25秒。1世紀後のコペルニクスの誤差は30秒でした。地軸の傾きは23°30′17″とされました。
ヨーロッパがこの星表を知ったのは1665年、トマス・ハイドがオックスフォードで出版したときです。今日、月のクレーターと小惑星2439 Ulugbekがウルグ・ベクの名を冠しています。
天文台はどのように失われ、再発見されたのか
天文台は創設者の死後、長くは続きませんでした。学者たちは次第にサマルカンドを離れ、16世紀末までには空になった建物はれんがを取るために解体されていました。やがて正確な場所さえ忘れられてしまいました。
再発見したのはワシーリー・ヴャトキン。元教師で、1903年からサマルカンドの遺跡の公式な管理官を務めた人物です。彼は17世紀の文書、つまりデルヴィーシュの修道場に土地を寄進する証書を手がかりに場所を特定し、1908年、クハクの丘での発掘で円形の基礎と六分儀の大理石の弧を掘り出しました。1909年と1914年にも発掘を行い、1915年には溝の上にヴォールトが築かれました。その後1941年と1948年の発掘で、基礎は岩盤まで掘り出されました。
ヴャトキンは1932年に亡くなりました。1934年、彼の墓は自らが発見した天文台へ移されました。
伝説:運び出された蔵書
これは伝説であり、記録ではありません。サマルカンドでは、ウルグ・ベクの死後、1万5000冊を数えたといわれる彼の蔵書が危機にさらされ、アリー・クシュチーが本の大半を町の近くのハズラト・バシール村へ運び出し、その後自らもサマルカンドを去ったと語られています。
博物館:見どころ
発掘された弧のそばに、タイル張りの門を構えた小さな博物館があります。館内には星の表のページの複製、発掘の写真、観測の方法を示す天文器具、そしてウルグ・ベクを偉大な天文学者の一人として描いたヨーロッパの版画が並びます。
私たちのおすすめは、先に博物館、次に弧です。器具の仕組みがわかると、溝はもう地下室への階段には見えず、本来の姿、つまり空を測るものさしに見えてきます。
ある朝の回り方:シャーヒ・ズィンダ、アフラシアブ、天文台

天文台は、ほかの2か所と同じ町の北のはずれにあるので、私たちは3か所を午前中にまとめて回ります。朝早く、ご存じですか? 7世紀の壁画に描かれた朝鮮半島からの使節 1965年の道路工事で見つかったアフラシアブの「使節の壁画」には、絹を携えた唐の使節などが描かれ、鳥の羽根を冠に挿した2人は高句麗の使節と考えられています。 詳しく見る →の斜面にタイル張りの霊廟が並ぶ小道、シャーヒ・ズィンダから始めましょう。
約1キロ先にはアフラシアブ博物館があります。紀元前500年頃から1220年にモンゴルに攻め落とされるまで、サマルカンドがあった丘の上です。お目当ては、ヴァルフマン王が外国の使節を迎える7世紀の壁画です。天文台はさらに約1.5キロ先です。
午後はレギスタン広場とご存じですか? ティムールの墓石はペルシャへ渡り、戻ってきた グーリ・アミール廟のティムールの墓を覆う深緑の軟玉の石板は、1740年にナーディル・シャーが持ち去りました。石は割れ、側近の進言で彼はサマルカンドへ返しました。 詳しく見る →に充てられます。全体の計画はサマルカンドを1日・2日・3日でをご覧ください。
天文台の見学:私たちのアドバイス
- 場所:サマルカンド北東部のクハクの丘。レギスタンから約3.5キロ、アフラシアブ博物館からさらに約1.5キロです。タクシーなら数分です。
- 所要時間:博物館と六分儀で約1時間。
- チケットと開館時間:入口の窓口で販売しています。料金と開館時間は窓口で確認し、スムの現金を少し持っておきましょう。ほかの見どころはサマルカンドの見どころ:チケットと開館時間にまとめています。
- いつ:午前中に、ご存じですか? シャーヒ・ズィンダが「生ける王」と呼ばれるわけ この霊廟群は、預言者ムハンマドのいとこクサム・イブン・アッバースの聖廟を中心に広がりました。伝説では彼は戦死せず、深い井戸を下って楽園の庭へ行き、今も生きているといいます。 詳しく見る →とアフラシアブと合わせて。アフラシアブ博物館は月曜〜土曜の9:00–17:00に開館しています。
- ガイドと一緒に:弧も天文表も、説明してくれる人がいると生き生きと見えてきます。私たちのガイドは、どのサマルカンドのツアーにも天文台を加えられます。
サマルカンドはタシケントから高速列車ウズベキスタンの高速列車。タシケント〜サマルカンドは2時間30分、タシケント〜ブハラは約4時間。乗車券はパスポートに紐づけられています。 詳しく見る →で2時間30分です。タシケントからサマルカンドへをご覧ください。町について詳しくはサマルカンド都市ガイドへ。
まとめ
- ティムールの孫ウルグ・ベクは40年間サマルカンドを治め、町を天文学の中心にしました。
- レギスタンの彼のマドラサ(1417–1420年)では天文学が教えられ、クハクの丘の天文台は1420年代に続きました。
- 六分儀の半径は約40メートル。大理石で覆われた弧の下部が、岩の溝の中に残っています。
- 『スルタンの天文表』(1437年)には1018個の星が収められ、1年の長さは誤差約1分で測定されました。
- ワシーリー・ヴャトキンが1908年に遺跡を発見しました。所要1時間を見込み、シャーヒ・ズィンダとアフラシアブと組み合わせましょう。



