
カルタ・ミナルとイスラーム・ホジャ:ヒヴァの二つのミナレット
ヒヴァの西門をくぐってすぐの所に立つと、旧市街はちょっとした錯覚を見せてくれます。視界でいちばん太いミナレットが低い方で、地平線に見える細い塔はその倍近い高さがあるのです。ご存じですか? 直径14mの土台、高さ29mで止まった塔 カルタ・ミナルは1852年に着工し、70〜80mになる予定でしたが、1855年にハンが没すると約29mで工事が止まりました。全面を釉薬タイルで覆った唯一のミナレットといわれます。 詳しく見る →は基部の直径14.2メートル、高さは29メートルで止まっています。ご存じですか? ヒヴァ一高いミナレットは築100年余り イスラーム・ホジャ・ミナレットはハン国時代の末期、1908年に着工されました。高さ56.6mで中央アジア屈指の高さを誇り、175段のらせん階段が窓のある頂部へ続きます。 詳しく見る →は基部9.5メートル、高さ56.6メートル。二つの間には半世紀以上の時間と、歩いて10分の距離があります。
旧市街全体の案内はヒヴァのイチャン・カラ、時間ごとのプランはヒヴァを1日・2日でにまとめました。ここでは二つの塔をもっと深く掘り下げます。誰が建てたのか、タイルに何が書かれているのか、博物館、塔への登り方、そして撮影に最適な場所です。
二つのミナレット、ひとつのスカイライン

二つの塔は、別々の時代のヒヴァに属しています。カルタ・ミナルは1852年、地域でいちばん大きなミナレットを望んだ君主ムハンマド・アミン・ハンが着工しました。イスラーム・ホジャのミナレットは1910年、自分の財産で病院や郵便局、学校を建てた宰相のために完成しました。一方は人を驚かせるために、もう一方は町の見張り塔になりました。
二つの塔はご存じですか? ヒヴァの「博物館都市」には今も人が暮らす イチャン・カラには、高さ8〜10m、厚さ5〜6mの土の城壁の内側に50以上の歴史的建造物と約250軒の古い家があり、今も路地で家族が暮らし、働いています。 詳しく見る →を両側から縁取っています。カルタ・ミナルは西の入口、ほとんどの観光客が入ってくる門のそばに立ち、イスラーム・ホジャは南東の地区、ご存じですか? 伝説:1枚の牛皮で捕虜を救った力士 伝説では、パフラヴァン・マフムードはインドで勝利し、牛皮1枚に入るだけのホラズム人捕虜の解放を願い出ました。彼は皮を細い1本の紐に切って全員を囲んだといいます。実在のマフムードは1300年頃の詩人・力士で、ヒヴァの守護聖人です。 詳しく見る →廟の隣にそびえています。
カルタ・ミナル:高さ70メートルの塔の土台

カルタ・ミナルとは「短いミナレット」という意味です。1846年から1855年までヒヴァを治めたムハンマド・アミン・ハンが、1852年、ヒヴァで最大の自分の新しいイスラムの学院。壮麗な正門の奥に中庭があり、その周りに学生の居室と教室が並びます。旧市街では、今は博物館や工房として使われているものも多くあります。の前に建て始めました。基部の直径14.2メートルから70~80メートルまで、説によっては110メートルまで伸ばす計画でした。いずれにしてもデリーの高さ73メートルのクトゥブ・ミナールを上回るはずでした。だから胴がこれほど太く、急に細くなっていくのです。目の前にあるのは、はるかに高い塔の下3分の1なのです。
独立して立つ塔ではありません。小さな木の橋がマドラサとつながり、内部の木の階段はマドラサの2階から始まります。マドラサには38メートル四方の中庭を囲んで約130の部屋があり、今はホテルになっているので、ミナレットから数歩の所で眠る旅行者もいます。
カルタ・ミナルを特別なものにしているのは、その外装です。全体を施釉タイルで覆われた唯一のミナレットで、ターコイズ、緑、白の帯が重なっています。近づくと、帯の一本一本が異なる幾何学文様で、指輪を積み重ねたように並んでいるのがわかります。銘文はヒヴァの詩人で歴史家のムハンマド・リザ・オガヒーの詩で、16節のうち12節が今もミナレットの上で読めます。そのひとつは塔を楽園の木トゥーバや、天を支える柱にたとえています。
文字の一部はソ連時代に剝がされました。ヒヴァ2500周年にあたる1996~1997年にミナレットは修復され、失われた銘文はオガヒー自身の手稿をもとに復元されました。
なぜ29メートルで止まったのか:年代記と伝説
年代記の記述は簡潔です。1855年、ムハンマド・アミン・ハンはトルクメンへの遠征中、サラフス近くの戦いで命を落とし、後を継いだハンたちは工事を続けませんでした。
ヒヴァの人々は伝説の方が好きで、私たちのガイドは二つを語ります。ひとつ目では、ブハラの君主が棟梁をひそかに雇い、ブハラにもっと高いミナレットを建てさせようとしました。ハンはそれを知り、棟梁は二度とれんがを積むことはなく、塔はそのままになりました。二つ目では、ハンは砂漠のはるか向こうのブハラを塔の上から見たいと望みました。棟梁はどんな塔にもそれは無理だと知っていて、ハンに気づかれる前にこっそりヒヴァを去りました。
どちらも物語であって、史実ではありません。けれども背後にある野心は本物で、自分で測ることもできます。基部を一周すると約45メートル。それが25階建てのビルの高さまで伸びていく姿を想像してみてください。
イスラーム・ホジャ:学校を建てた宰相

イスラーム・ホジャは、ムハンマド・ラヒム・ハン2世と、その息子イスファンディヤル・ハンのもとでヒヴァの筆頭宰相を務め、イスファンディヤル・ハンの義父でもありました。近代化を進めた人物として記憶されています。私財を投じて、病院、薬局、郵便・電信局、世俗の学校、綿繰り工場、新しい鉄の橋を建てました。
1908~1910年、彼はイチャン・カラ最後の大きな建築群、マドラサとモスクとミナレットを建てました。建築家はフドイベルガン・ハジ、装飾は職人エシュムハンマド・フドイベルディエフとボルタ・ヴォイソフの手によるものです。
ミナレットの高さは56.6メートル、基礎を含めると57メートル。ヒヴァでいちばん高く、ブハラのご存じですか? 13m掘っても基礎の底に届かなかった塔 1127年建造のカラーン・ミナレットは高さ約46m。発掘で地下13mまで掘っても基礎の底は見つかりませんでした。チンギス・ハンが破壊を免じたと伝えられます。 詳しく見る →よりも高い塔です。直径9.5メートルの基部から少しずつ細くなり、頂部には窓のある灯籠部があって、鍾乳石状の軒飾りと陶製の格子がついています。濃紺、白、青、緑の施釉タイルの帯が一定の間隔でれんがを巻いていて、11~12世紀のミナレットを意識的に思わせるデザインです。
マドラサの中へ:ホラズム応用美術博物館
このマドラサはヒヴァで最も小さく、約23×20メートルの中庭を42の僧房が囲み、一辺をまるごとモスクが占めています。1983年からはホラズム応用美術博物館になっていて、展示は1991年と2014年に新しくなりました。
ヒヴァの町じゅうを飾る手仕事を間近で見られる場所です。中心は木彫で、ドイツの展覧会にも出品された、アラビア文字の銘のある両開きの彫刻扉もあります。周りには彫金の銅器、宝飾品、織物やじゅうたん、土器、日用品、硬貨、古いアラビア文字が刻まれた石が並び、14世紀から21世紀までの400点以上が展示されています。
博物館には30分ほど見ておきましょう。塔に登る前でも後でもかまいません。
175段を登る

カルタ・ミナルは地上から眺める塔、イスラーム・ホジャは登る塔です。焼成れんがのらせん階段175段が塔の中を巡って頂部の灯籠部へ続き、高さ約45メートルの所に窓が開いています。ヒヴァで最も高い展望ポイントです。
そこからはイチャン・カラ全体が地図のように一望できます。真下にはパフラヴァン・マフムード廟のタイル張りのドーム、平らな土の屋根と家々の小さなドーム、城壁の凸凹の線、そして町の反対側にはカルタ・ミナルのターコイズ色の胴が見えます。
- 階段は狭く、急で暗く、段はすり減っています。スマートフォンのライトを使い、大きな荷物は下に置いて、下りはゆっくりと。
- ひざに不安のある人や狭い場所が苦手な人には向きません。イチャン・カラの城壁の内側にある、ヒヴァ・ハンの古い城塞兼居城。の見張り塔アク・シェイフ・ボボからも、旧市街を似たように見渡せます。
- その日にミナレットが開いているか、何時までか、登塔が共通券に含まれるかはチケット売り場が決めます。私たちは登塔を事前にお約束することはしません。
- 登るなら朝か夕方近くに。低い日差しがドームを浮かび上がらせます。
二つのミナレットを撮る場所

- 西門を入った広場。カルタ・ミナルの定番の一枚で、塔全体と隣のマドラサが収まります。人のいない広場なら日の出に、タイルが輝くのは日没前の最後の1時間です。
- 塔の足もと。体を後ろに反らせて真上に向けて撮ると、文様の帯が空に向かって集まっていきます。銘文をいちばんよく見られるのもここです。
- 城壁沿いの通り。土の城壁とマドラサの間の路地からは、長いアーチの列の先にカルタ・ミナルが見えます。
- 見張り塔アク・シェイフ・ボボ。クフナ・アルクの上からは、二つのミナレットが旧市街の屋根をはさんでひとつの画面に収まります。
- 屋上カフェのテラス。城壁内のいくつかのカフェには屋根の高さのテラスがあり、手すりの向こうにミナレットが見えます。
- イスラーム・ホジャとパフラヴァン・マフムード。縞模様のミナレットと廟のタイルのドームが並ぶ姿は、ヒヴァのもうひとつの定番写真で、夕方がいちばんきれいです。
日没の1時間を私たちは二つに分けます。光が金色のうちにカルタ・ミナルを撮り、太陽が城壁の向こうに沈むころには見張り塔か屋上テラスへ。人を撮るときは必ずひと声かけてください。写真がおもな目的なら、私たちのウズベキスタン写真ツアーもご覧ください。
二つを結ぶ散歩と実用情報

二つのミナレットは、イチャン・カラを歩くいつものルート上にあります。私たちのルートは、西門からカルタ・ミナルとクフナ・アルクへ、大通りを進んでご存じですか? ヒヴァのジュマ・モスクを支える212本の木の柱 10世紀の記録に登場するジュマ・モスクは1788年に再建されました。正面の門もドームもなく、平らな屋根を17列・212本の彫刻柱が支えています。柱の中には建物そのものより古いものもあります。 詳しく見る →を通り、南へ折れてパフラヴァン・マフムード廟とイスラーム・ホジャのマドラサで博物館と登塔、そして一日の終わりに夕方の光を求めてカルタ・ミナルへ戻ります。
- アクセス:高速列車ジャロリッディン・マングベルディはタシケントを7時00分に出て、ヒヴァに14時31分に着きます。日曜以外は毎日運行。駅から城壁までは歩いて30分です。詳しくはウズベキスタンの鉄道をご覧ください。
- チケット:カルタ・ミナルは通りから無料で見られます。博物館とミナレットはイチャン・カラ博物館保護区の一部です。西門そばのチケット売り場で共通券を買い、何が含まれるかをそこで確認してください。各見どころの案内はブハラとヒヴァの見どころにあります。
- 開館時間:路地はいつでも歩けます。博物館とミナレットは日中のみで、時間はチケット売り場の案内に従います。
- 所要時間:カルタ・ミナルで15分、夕方の光を見に戻るならもう少し。イスラーム・ホジャの博物館と登塔で約1時間です。
- 服装:ミナレットに厳しい服装規定はありませんが、隣のパフラヴァン・マフムード廟では肩とひざを隠してください。階段用に滑りにくい靴を。
- そのあとは:タクシーでゴヴク湖畔のアルダ・ヒヴァへ。カルタ・ミナルの複製があるので、日没に見た本物と見比べてみてください。
私たちのガイドと歩くなら、この散歩はヒヴァ徒歩ツアーになります。市内のすべてのルートはヒヴァのツアーに、町の詳しい情報はヒヴァのページにあります。
まとめ
- カルタ・ミナル(1852~1855年)は高さ29メートル、直径14.2メートル。70~80メートルになるはずの塔の土台で、ハンの死で工事が止まりました。全体を施釉タイルで覆われた唯一のミナレットです。
- 伝説は不誠実な棟梁や、ブハラが見えるはずもない眺めのせいにしますが、年代記が記すのは1855年の戦いです。
- イスラーム・ホジャのミナレット(1908~1910年)は高さ56.6メートルでヒヴァ一の高さ。町に病院、郵便局、学校ももたらした宰相が建てました。
- 彼のマドラサにはホラズム応用美術博物館があり、ミナレットの175段は、開いている日には町で最も高い展望ポイントへ続いています。
- カルタ・ミナルは日の出かゴールデンアワーに、二つのミナレットを一緒に撮るならクフナ・アルクの見張り塔から。一日の締めくくりはイチャン・カラから車で数分、ゴヴク湖のほとりに2025年5月に開業した新しい観光複合施設。ホテルとゲストハウス17軒、3,000席の円形劇場、レストラン、ドームの下のバザール、ゴンドラの運河があります。 詳しく見る →で。



