
この記事で紹介している場所: ブハラ
ブハラのシトライ・マヒ・ホサ:最後のアミールの夏の宮殿と博物館
車寄せから見ると、宮殿はまるでロシアの地方都市の郊外に建っていそうな姿です。淡い色のファサード、背の高い窓、柱のあるポーチ。けれども一歩中に入れば、そこはブハラです。彫刻と彩色を施した漆喰、白いガンチのレースに覆われた鏡の間、職人たちが何年もかけた天井。最後のアミールの夏の宮殿ブハラ最後のアミールたちの夏の離宮。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパと中央アジアの様式を取り混ぜて建てられました。は、20世紀初めにこの二つの世界が出会った場所です。
ここでは、宮殿の歴史、ロシア様式とブハラ様式の融合の読み解き方、博物館の収蔵品、そして旧市街の外で過ごす一日への組み込み方をご紹介します。
アルク城から四キロの宮殿

名前は「月のような星」という意味です。ブハラのアミールたちは18世紀から、町の北約4kmのこの地に郊外の離宮を持っていましたが、その時代のものは何も残っていません。この地には伝説があります。あるアミールが町の周りのあちこちに羊の肉を吊るし、肉がいちばん長く新鮮なままだった場所に宮殿を建てた、そこがいちばん空気のよい場所だったから、というのです。
アミール・アブドゥルアハド・ハンは19世紀後半に建設を始め、ブハラの名工たちをサンクトペテルブルクとヤルタへ送って仕事をさせました。13歳から三年間サンクトペテルブルクで学んだ息子のご存じですか? 首長の夏の宮殿は、外は西洋風、中は東洋風 ブハラ最後の首長アリム・ハンの郊外の離宮は1912〜1918年に建てられました。外観はヨーロッパ風、内装は東洋風です。地元の名工たちが宮廷に仕えたロシア人技師2人とともに手がけ、1927年から博物館になっています。 詳しく見る →は1911年にアミールとなり、1912〜1918年にいま目にする宮殿を建てました。彼はブハラ最後のアミールでした。1920年に町を去り、1944年にカブールで亡くなっています。アミールたちが一年のほかの時期をどう暮らしたかは、彼らが統治の拠点とした要塞、ブハラのアルクで語られています。
外はロシア、内はブハラ

新しい宮殿の建設には、アミールの宮廷に仕えた二人のロシア人技師、マルグリスとサコヴィチが携わり、当時のブハラを代表する名工たちも加わりました。ウスタ・シリン・ムラドフ、ハサンジョン・ウマロフ、アブドゥッロ・ガフロフ、ラヒム・ハイトフ、イブラヒム・ハフィゾフ、カリム・サマドフらです。その結果、平面とファサードはヨーロッパ風、どの部屋も東洋風という宮殿が生まれました。
伝統的なブハラの家と同じように、宮殿は男性の区画と女性の区画に分かれています。内部では、彫刻を施したガンチ、壁画、金刺繍が、ヨーロッパの家具、カーテン、鏡と隣り合っています。その取り合わせこそ、多くの訪問者の記憶に残るものです。
白の間
宮殿の見せ場は、ウスタ・シリン・ムラドフの指揮で作られた「白の間」です。三十人の名工が二年をかけて手がけました。壁は鏡の上に重ねた彫刻ガンチで覆われているので、漆喰の白いレースが光の上に浮かんでいるように見え、部屋のどこにも同じ模様は繰り返されていないといわれます。宮殿の敷地にはシリン・ムラドフの記念碑が立っています。
夏のお茶の間と比べてみてください。ほかの広間が花や葉で飾られているのに対し、ここは色鮮やかな幾何学模様とステンドグラスで埋め尽くされています。二つの装飾の流派が、数歩の距離に並んでいるのです。
博物館と収蔵品
宮殿は1927年に博物館となり、現在は装飾応用美術博物館です。収蔵品の多くは19〜20世紀のものです。
- 磁器:14世紀から20世紀までの中国と日本の作品。
- 染織品:、ご存じですか? 1枚のスザニは何人もの女性が同時に刺した 家族の誰か、または図案描きの職人カラムカシュが、木綿の細長い布に図案を描きます。布は家族や近所の女性たちに配られ、同時に刺繍されました。縫い合わせ直すと継ぎ目の模様がわずかにずれる――それが手仕事の証です。 詳しく見る →刺繍の枕カバー(タキヤプシュ)とカーテン(チミリク)、金刺繍のパネル、ガウン、鞍掛け。
- ブハラの宝飾品と、ロシアの宮廷工芸品。
- 19〜20世紀の家具と、アミール国末期の写真。
- 衣装:独立した八角形のパビリオンに、百年前のブハラの町人の衣装。
建物の周りには庭園、池、彫刻を施したアイヴァンがあり、庭の塀とパビリオンは修復されています。スザニの部屋が気になったら、スザニのガイドで模様と買える場所をご紹介しています。
シトライ・マヒ・ホサの訪問:チケット、開館時間、私たちのアドバイス
チケット:2025年1月1日から適用されているブハラ博物館保護区の公式料金で、外国人大人60,000スムです。展示品の写真撮影は30,000スム、動画撮影は100,000スム、オーディオガイドは20,000スムです。
開館時間:原則として9:00〜18:00、ハイシーズンはもっと長くなります(2026年10月の最新確認時点)。当日ご確認ください。
所要時間:宮殿、パビリオン、庭園で約一時間半。
アクセス:宮殿は旧市街の外にあるので、タクシーか車で向かいます。開館時間に合わせて行き、ご存じですか? スーフィーの師にちなんで改名された村 最大級のスーフィー教団に名を残すバハウッディーン・ナクシュバンド(1318〜1389)は、ブハラ近郊のカスリ・ヒンドゥヴァンで生まれ、葬られました。村はのちに彼をたたえてカスリ・アリファンと改名され、墓廟は1544年に建てられました。 詳しく見る →廟群とご存じですか? 4人のアブー・バクルにちなむ墓地 ブハラから5kmのチョル・バクルは、970年に没したアブー・バクル・サイードの墓を中心に1559年から築かれました。彼は「4人のアブー・バクル」の一人で、名もそこから。25の建物は2023年、ザラフシャン・カラクム回廊の一部として世界遺産になりました。 詳しく見る →墓地と一緒に午前中に回りましょう。それがブハラ・ディスカバリーツアーです。距離、所要時間、町の外のほかの見どころはブハラ近郊の見どころに、町がアミールや聖者について語る物語はブハラの伝説にまとめています。
まとめ
- シトライ・マヒ・ホサ(「月のような星」)は、ブハラの北4kmにあるアミールたちの夏の宮殿です。
- いま目にする宮殿は、最後のアミール、アリム・ハンのために、ロシア人技師とブハラの名工たちが1912〜1918年に建てたものです。
- 「白の間」は見逃さないでください。シリン・ムラドフによる鏡の上の彫刻ガンチで、三十人の名工が二年で仕上げました。
- 1927年から博物館となり、磁器、スザニ、金刺繍、宝飾品、ブハラの衣装を収蔵しています。
- 外国人大人のチケットは60,000スム。バハウッディーン・ナクシュバンドとチョル・バクルと一緒に午前中に回りましょう。



